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# ブログ開設にあたり

「美術教育の目的は?」「美術教育の到達目標は?」等について、美術教育が今まで充分に国民に説明してこなかったように思います。その説明責任として応える、果たせる事ができるのが、美術教育では教科内容学ではないでしょうか。

上記の金沢大学・松浦教授からの問題提起から始まったワーキングの為のブログです。


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学芸大学・石井壽郎(臨時管理者)toshiwo@u-gakugei.ac.jp

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# 連絡事項
  教科内容学検討委員会が昨年度実施致しましたアンケートに多数のご協力を頂きまして、大変有り難うございました。

 送付させて頂いた皆様から実に一割強のご返答協力を頂き、委員会の益々の励みになりました。これを受けまして更なる委員会内容の充実を目指したいと思います。

 ご返答して頂いたアンケートの項目より「教科内容学検討委員会中間まとめ」の内容に対する直接的なご意見・ご返答を抜粋致しましたので、ここに掲載させて頂きます。

 以下、ご意見内容です。宜しくご覧下さい。

 

 

・美術は人類の長い歴史の中で、社会的位置付けが大きく変化してきている。その流れの中で、現代における「美術」の統合的な位置付けをしっかりしてからでないと、これらの議論は意味をなさない。現状では、創造の原点は「ドローイング」であるとしても、社会的には一笑に付されてしまうだろう。

 

・「教科内容学」というのは、「教科教育学」とは何が異なるのか、明確に把握しにくい感がある。教員養成において、今まで理論と実践が分断されてきた傾向があり、特に美術専門でない他教科専門の学生には、美術教育が理解されにくかったと思う。そういった点で、今回の提案は良いことだと思うが、一歩間違えれば、「教科教育学」と更に距離がつくられることになるだろう懸念を抱く。また、ドローイングが何故ドローイングなのか、が誰にでもわかるように説明されるべきである、と考える。

 

・視覚情報による左脳?論理的理解力の養成に偏っていないか?時代的、又、何かにつけ、言葉による「説明」が重視される偏重を反映しているのだと感じる。我々の教科は他の説明方法を模索し主張する責任があると思うのです。

 

・創造の原点としてドローイングという設定は変だと思う。より多様な手法が可能で、それらをすべて包括した方がよい。

 

・特に3番目の観点で指摘されている、美術表現の”プロセスの「振り返り」”の方法論が、今後重要になってくると考えている。制作過程の記録等が、単なる”記述”にとどまるのではなく、次なる創造へのプロセスへと循環していくような、美術固有の具体的手立てを提案していくべきであろう。

 

・現在私たちの学部(島根大学・教育学部)では、教科内容学授業を「内容構成研究」授業として、全教員が取り組んでいます。

 

・例えば平成23年度の教科書の題材と中間まとめの内容を比較・考察すれば、どこがどう一致し違うかが明確になると思う。現場からの声をとらえる時、図工・美術に造詣の深い者だけではなく、一般の視点ではどうか、という点も必要であろう。

 

・フィールドワークに賛成です。

 

・私たちが生きている生活空間に造形をおいてみる、持ち込んでみることによって、創造の原点、プロセスへの視座を捉えてみたい。

 

・現場で子どもから学ぶ以外ない。机上や大学の講義では現代のニーズから乖離する。地域の教員の意義を変える。絵しか教えない教員は要らない。美術は総合的な学問である。偏ったものの見方を学ぶためのものではない。フィールドワークの例が貧弱である。

 

・彫刻においても、「描けないモノは作れない」という言葉すらある。ドローイングによるイメージの構築はとても大切なことで、創造の礎としてドローイング観に立脚するという提案は是非実現していきたいことである。

 

・現代社会(日本ですが)で、美術の教育的意義をわかりやすく伝えるためには、とてもいいものになっていると思います。とても勉強になりました。

 

・理念が最も大切。現場の美術教師、図工・美術の児童・生徒のためになるような(幸せに貢献する)教科内容学であるべきは当然だ。「3.造形言語を批判する力」「4.フィールドワーク」が大切であると思う。

 

・1.「ドローイング」おおむね賛成。「ドローイング」と「スケッチ」等の日本におけるおおよその定義は理解している故、「ドローイング」という単語で良いのか、「スケッチ」ではだめなのか、という疑問はある。 2〜4.やや難解な文章、単語が見られる。

 

・とても参考になります。他の分野(美術以外)への美術の存在価値について、具体的にアピールできるのではないかと思います。教育大で美術専攻した教員が、論理的に美術の包容力を様々な経験をもって自信をもって活動できる助けになるのではないか。美術を専攻しようとする高校生・学生にも美術を専攻する意義とその重要性、魅力、動機付けなどになるのではないでしょうか。

 

・1.の論点の是非については言及しませんが、現実に私達(私も含め、職場や地域で美術にかかわる人達)が作品を制作するにあたって、常に「ドローイング」を核に据えた手法をとっているかどうかについては、首をかしげる部分があり、より多様性があるとの認識を持っています。2〜4の論点には異論ありません。

 

・先のとおり、「創造」の観点は有効である。「創造」の観点は制作ばかりか、美術理論、美術史における学習においても重視されたい。これは学校教育における、図工・美術での表現と鑑賞にともに共有される価値であろう。

 

・図工・美術・工芸における創造性を人間側(内側)から、社会(外側)へ通じる道筋に視点を置き、構築していくことには、賛成ですが、美術関係者のみにしか理解できないものにはならないよう、注意しつつ、進めていきたいと考えています。

 

・おお旨、四つの柱を軸に構想することに意義はありませんが、「ドローイング」に対して「ペインティング」をどう捉えるかプロセスを「振り返り」と「交流」で捉えること、言語活動の充実をどう捉えるか、バーバルとノンバーバルをどのように考えるかについて、一層理解を探求(深める)するようにしたいものです。

 

・前項までに記述したコトを、一般化(普遍化)出来れば、美術(図画工作、造形表現)教科内容学を構築する意味を、獲得できるのではないでしょうか。

 

・1〜3まで、すべて納得のいくところです。4に関しては一部条件をつける必要を感じます。4の5行目に画家や彫刻家のアトリエ訪問とありますが、造形作家育成を主目的としていない図工・美術教育において誤解されない言い方や、訪問する際の造形作家選定の慎重であることの条件をつける必要性です。

 

・2,3,4に挙げられている柱については軸として必要であることには賛成・同意します。1については、すべての分野に適用できるのか疑問。大学で陶芸を5年間勉強していたが、「ドローイング」という言葉で陶芸を考えたことはなかった。(勉強不足なのかもしれませんが、分かりにくいです。)

 

・「3」について、鑑賞・批評・批判の能力はバーバル・コミュニケーションの形で教育すべき部分も「大」です。「造形言語」「視覚言語」という場合、それはnon verbalですが、non verbalなものをnon verbalな手法で教育することは、「健常者」の場合、非効率的で、ほとんどあり得ないことと思われます。整理してもう少し明晰にしていただけると有難いです。

 

・今後、4つの視点からどのように、「実践的な課題」を提起していくのか、ということに関心があります。また、絵画・彫刻・デザイン・工芸・美術史などの実技的な領域でも、ただ「制作」するだけでなく、「教育」としての視座からとらえていくことは、シンポジウムを拝見してまた自分自身が従来の「美術教育」を受けてきた立場として重要なものであると考えています。

 

・「視覚言語」を、色・線・形・色・動き・・などの造形要素と解釈すると、ケぺシュの「視覚言語」になってしまう。今日的な解釈が必要だと思っていたので、出来れば「視覚言語」という言葉は使わない方が良い。

 

・ドローイングを重視するという点は、イラストのような描き方も含めて、私も現場で重視してきたので大賛成です。創造のプロセスへの視座も、小学校の「造形遊び」にアレンジを加えて、現場に導入することが可能だと思います。造形言語と批評する力は、小学校では難解かもしれませんが、解釈次第では導入も可能だと思います。フィールドワークは、現在の時間割の厳しいスケジュールから見ても(私の中学校では)、実現はかなり厳しのではないかと思います。ですが、他の行事に含めれば実現できるかもしれません。

 

・しっかりと考えられおり、基本的にはまとまりのある優れた内容であると思います。ただ、示された4つの柱の中の「ドローイング」が他の3つとは異なる性格を持つような気がします。また、この4つの柱と絵画・彫刻等の既存の研究領域との関係がよく分かりません。4つの柱は既存の研究領域に代わるものなのでしょうか。教科内容学の必要性が叫ばれている背景には、各教員養成大学・学部の各教科に教員養成上必要な科目担当の教員がそれぞれ本当に必要なのかどうか、という問題です。この問題に答える必要があると思います。となると、学校教育(子どもの成長や発達)の視点をより明確にする必要があるような気がします。

 

・造形方法、視覚リテラシー、批評する力を身につけることは大切。4本の観点の充実に賛成。

 

・支持する。

 

・どの観点も重要なものだと感じる。これらの内容をより噛み砕いて、どの学校でも実践できるような内容、案を提示していくことが必要であり、現場に上手く伝えていくことが必要だと感じる。

 

・4項目全てに渡って重要なことである。特にフィールドワーク(4)のところでは、もう実践に移るべきである。

 

・ドローイングの取り入れについては大賛成。あまり固く考えずに、ボールペンなどで、スイスイ・グルグルとかかせることの積み重ねでも十分効果が上がると思う。

 

・立体造形や工芸のあるいは工作の立場に立って、ものを考え、つくる行為の視点からの思考が欠けているように感じる。ドローイングそのものを否定するものでなく大切と考えるが、平面に立体をあらわす方法と、立体で立体をあらわす両立の視点が大切ではないかと考える。また、「手で考える」ことも大切。

 

・今最もすべき事、やるしかない、少しでも上手くまとめていくしかない。異なった領域の異なった考え方の人間同士自分たちの立ち位置を見極めながら手を取り合って頑張らねばならない。とりわけ彫塑に関しては文献、研究論文ともに非常に少ないのが現実であり、その観点からしても行う価値は非常にある。

 

・実技教育のコンテントの再構成として「ドローイング」に主眼に置くなど評価できる点でもあるが、全体として頭でっかちに見えるというコントラディクションを感じる。

 

・いい意味での再確認だと考える。高校や大学の教員はいいが、美術以外の小学校の教員は果たしてこの境地に立てるのか。

 

・よくまとまっている。

 

・創造のプロセスを重要視する点は良いと思う。

 

・むずかしい言葉を使わずに、だれもが分かりやすい内容にしてもらいたい。

 

・プロセスの一つ一つに意味を持たせると、子どもたちの活動が広がりをもち、意味のあるものになると思う。ドラマという表現がいい。

 

・ドローイングについて、プロセスについて、意見を同じくする。Hフィールドワークについて、CGアニメ、デザインの現場調査については、高校以上に絞るべきで、早い年齢からの高い技術を必要とする表現技法への導きは気を付けたい。

 

・根元的な次元に根差しつつも(測定、現場、実践)的な要素に内包している優れた思考であり、実にすばらしい。

 

・創造のプロセスをしっかりと丁寧に研究していくころはとても重要なことと考える。

 

・美術表現は「生命(感性)→精神(理性)→身体(技術)」の総合力によって生まれるものであり、ドローイングは技術、反省的自我の確立は精神、鑑賞は感性の育成になりうるから、鑑賞力→反省的自我→ドローイングの総合力が求められる。

 

・創造のプロセスに着眼することは、私も従来から重視しており、「まとめ」において明示されたことは共感できた。

 

・わかりやすく、各内容を見せていただきたい。より密にしていくことが重要と考える。

 

・提起された4項目、いずれも重要だと思いました。ただ私自身の問題意識からすると、「新しい発想」「独創」を生成させる方策に興味があり、現場の教員に欠けている面があると思う。もっとも、それは当たり前のことで4項目の研究をもとに生み出していくべきことも可能。

 

・「ドローイングが原点である」意見に共感します。ノンバーバルコミュニケーションとしての美術の役割を科学的に証明する必要がある。

 

・必ずしもドローイングが創造の原点とは言えない。ドローイングを多様なアプローチの一つの選択肢として選ぶ人もいていいとは思う。素材と対話が原点にあってもいいし、鑑賞からはじまる人がいてもいい。逆にドローイングなしでも、表現や創造は可能だと思う。もっと自由な発想で枠にとらわれずに進めていいのではないだろうか。

 

・考えをめぐらす為のきっかけとしては、妥当だと思う。

 

・創造のプロセスへの視座は特に重要だと考えている。いわゆる「完成品」だけでなく、そのプロセスを丁寧に「記録」していくことが、今後の美術教育でさらに重要になっていくと思う。

 

・とくに②と④について共鳴する。

 

・理想を言えばその通りであるが、現実的には志の高い学生は少ないため、構想が飛躍しすぎている。少々考えが偏っている。制作を通して自己内省を深めて教育につなげられたら良い。

 

・全て了解済み。具体的にかたちにしていくことが極めて重要である。

 

・とても興味深い。

 

・もっと低いレベルの問題だと思う。

 

・1〜4とも共感できる。特に3の造形言語と批評する力→言語にしてコミュニケーションする能力はいままで重要なこととしていなかったが、見直すべき事柄であると感じる。

 

・広義には「表現・情操・体性感覚」の意味をもっと問うべきではないのか。何よりも教員養成系大学が美術大学化している現状を克服するためには実技の研究業績を低ランクに位置づけ、美術教育に関するレポートを高ランクに位置づける必要がある。

 

・3、4の内容に興味がある。特にフィールドワークについては、現在、幼稚園での実践研究を行い、一方で自己の制作発表(彫刻)等で社会活動(市民、美術活動や展覧会活動、行政における美術活動)にも参加しているのでその必要性と重要性は多いに共感する。

 

・民間ではすでに行っている。特にフィールドワークに関しては、海外アーティストのワークショップ、スライドレクチャー等、私の学校では多数取り入れている。学校として、というよりも先生の行動力にすべてかかっていると感じる。今後、教育機関の枠を超えて意見交換が出来たら良い。

 

・1について:内容の趣旨は漠然とながらも理解でき同調もできるが、「ドローイング」という一言に押し込めることに無理があるように感じる。業界和製英語としてのニュアンスはともかくとして、一般的な語源は「線」から発生した言葉である。ここでの「ドローイング」という言葉に込められた意味が、エモーショナル・ドローイングに通じるような、何物にも束縛されない純粋感性的な造形的創造行為の総称だとすると、原初的表現媒体として、平面に限らず立体も、あるいは行為もありうるので、誤解が生じないような他の適語はないか。2について:その通りである。3について:「分析的な次元」において造形表現への着目が有効だ、と読み取れてしまうと、違和感を感じる。造形要素についての着眼は、表現そのものばかりではなく、むしろ分析的場面においても重要である、というような言い回しの法がよいのでは。4について:同調できるが、「フィールドワーク」の語義的な定義を、まず大まかながらも示した文章である方が分かりやすいと感じた。「例えば...」、ではなく。

 

・中間まとめは、良い方向へ向かっているのではないか。イギリスやNZの学校では積極的に外部からアーティストを招いてクリエーターの話をしてもらっている。日本でも普段からもっと風通しのよい環境にしていくべきなのでは。

 

・1.創造の原点(核)としての「ドローイング」。まったく重要な考え方である。作品制作において「考える」ということは、取り直さず手を動かして自らの頭の中にあるものにカタチを与え、そして自分自身に具体的に見せつけることである。具体的な刺激となるから脳は更に刺激を受け、活性化する。2.ドラマと振り返りの方策。全く重要なことが述べられていると考える。ある意味で作品以上に制作プロセスにこそ作者の在り方が反映される。ドローイングをはじめ、より具体的なカタチで作者自身が実感できるようにする。プロセスを単に作品に付随するものとしてとらえるのではなく、それ自体が教育的価値を持つものとし、プロセスの在り方についての指導も多いに研究されるべきである。私自身の問題意識でもある。3.よりよい作品制作を目指す上で、単に感覚的にとらえるだけでなく、他人の作品や自身の制作を分析的に検討する力も必要。造形言語として論理的に解釈することは大切である。私としては色や線、形といったものは例えるなら単語のようなもの、それらが組み合わせられ、相互に関係を持って某かの表現意図を託された文章のようなものとなる。「構築されたもの」としてそれを読み感受するための「リテラシー」教育が必要であると考え、私自身の指導内容を検討しているところである。4.フィールドワーク:美術が社会の中で具体的にどのように人々の営みと関わっているかを知ることはとても大切なことである。自分の表現を考える指針になる。商品としての作品、画廊の役割など経済活動という側面からも美術を考える機会にしてもよいのではないか。

 

・4つの観点はいいと思う。今後の具体的構築が望まれる。「学」とは心の一字にあると思う。一人一人の自覚に基づく使命感のある実行実践が何よりも大事。

 

・ドローイングという行為(方法)は創造の原点ではなく、自己が外界と交わる中での「感応」が起点になるのではないか。その意味で何を見、何を感じるのかといった『入力』(インプット)が創造の源泉であり、言い換えれば『観察』がその中心となるべきではないか。この場合の観察とはものを見るということに留まらず把握するということを含んでいることはいうまでもないが。鑑賞は重要な「入力」行為であるが、理論的に批評する以上に、感応することが重要である。2.創造のプロセスの視座にある。「記録」「編集」「反省」の「記録」と「反省」については「制作ノート」をイメージすればそこには創造の飛躍があることを理解できますが、「編集」という意味が何かを示しているのかピンと来ない。4.正直この項目を上の1、2、3、と併記することに疑問がある。フィールドワークの意図が先に述べる「入力」という観点で行われるのであれば非常に納得するものであるが、そうではない。私個人が考えることであるが、「創造がなぜなされるのか?」ということをしっかりと考えていくことが求められているのではないかと思う。その点で「観察」「把握」といった原初的な問題をなおざりにしないほうがよいのではないか。創造の構造においてもそれらは土台であると思う。

 

・1.「教科内容学」については、特に「教科専門」が携る内容を議論するということで、そうした営為の必要性については多くの人が理解し同意できる。2.しかし、早急に「美術科内容学」を、叩き台とはいえ一部の人の議論でまとめてテキストとするという発想は問題ではないか。個人やグループとして考えを世に問うのは意義のあることだと思うが、このまとめのようなものを、大学美術教育学会なり美術部門なりのオフィシャルなものとして出すことは反対。3.「教科内容学」とは何なのか。つまり、「教科内容学」の内容以前の、何を研究する学問なのかを最初に明らかにしなければならない。そこが極めて曖昧であると思う。同封の文書には「実際に教育内容を構想するための指針」という文句があるが、これは教科専門の教員が、教員養成学部の学生を教える時の教育内容のことなのだろうか。それとも。小学校の図工や中学校の美術の教育内容なのだろうか。また、「創造のプロセスへの視座」とか「造形言語と批評する力」とかで対象として呼びかけられているのは誰なのだろうか。子どもなのか、学生なのか、小中学校の教員なのか、大学の教科専門の教員なのか。それとも全員?もし教科専門教員ということならば、「教科内容学」でやろうとしていることは、大学教員の資質向上プログラムのようなものなのだろうか。4.私自身の考えは今のところは、樋口聡氏にならい、「教科内容学」は教育目的を実現するために、子ども、教師、教材によって成り立つ学校教育の全体を考慮しつつ特に「教材」に重点を置き、それを議論したり開発することに関わる学問ということになるのではないか。それは教科教育の教員の仕事でもあるが、教科専門の教員(研究者)こそが、中心になって進められるべきである。いうまでもなく、美大では制作に関することを教えるが、「美術科内容学」は扱わない。

 

1.教科内容学研究を先行する広島大学と鳴門教育大学の2つを比較してみると、前者が学習指導要領の統一原理・構築論からアプローチし、後者は西園氏らがリードするように認識論的にアプローチしているとみています。これらの内容学研究に対して、美術教育の教科内容学研究の性格は、「2の創造のプロセス」に示唆されるように認識論的なアプローチをもつところに一つの特徴があると受け止めます。ただ、西園氏による音楽の教科内容学は、知覚・感受・理解(文化)・表現を内容構成としているが、美術ではここの「理解(文化)」に対応するものがない。この点は、広島大学の学習指導要領構成原理に基づく内容構成に対しても同じだと考える。美術の内容学では理解(文化)に向き合うことを必要としないのかを知りたいものです。「批評」がこれに代わるのであれば、批評と文化との関係を整理する必要があると思います。2.鳴門教育大学が打ち出している「教科内容」「教科教育」「教育実践」の違いは何か。それぞれの違いについて整理してほしいものです。3.最後に、一番気にかかることは、美術の教科内容学が、学習指導要領とどう向き合っているのかが見えないことである。絵画・彫刻・デザイン・工芸・美術史美術理論という区分は、現免許法の構成原理による区分です。ところが、小学校図工、中学校美術の学習指導要領を見れば、これとズレていることは一目瞭然です。このズレについて、または現学習指導要領について、どういう見方をしているのか。もう少し説明していただきたいと思います。 4.「中間まとめ」中の「1.創造の原点」の中の「従前のデッサン観」について もう少し丁寧に説明をしていただきたい。ここでは「かく」ことをすべて「ドローイング」として位置づけていると受け止めますが、「見てかく」「まねる」「記録する」「参考にする」行為や思考を排除したものとすると、人間の発達にとって制限の大きいものではないでしょうか。「ごっこ遊び」は遊びと学びの原点であるように、教室でもどこでも協働性の中に多くの学習が成立しますし、学校教育で行う意味もそこに注がれています。

 

・1.手を動かしながら、地面や紙に頭で考えたアイデアや描いているうちに出来る形から刺激されさらにアイデアが生み出されるということで、創造の原点となることは確かにそのように考えるが、教育はその後の発達段階に応じてさらに高度な内容を児童生徒にぶつけてやることによって、子どもが自らを耕すことが学びになるのではないかと思う。粘土表現を例にすると「てづくね」(粘土で自由にドローイング)から「手仕事」(手の延長としての道具の使用を熟達し、論理的理解が深まり創意工夫して表現する)に自身が手で考える表現に変化するプロセスの中で育まれる。2.工芸教育において特に、試行錯誤と創造的飛躍、そこからの自己発見を行うことはこれからの教育として必要である。私も21/22年度国立教育政策研究所の指定を受けて「つくりながら考え、考えながらつくるプロセスを通して、探求心を高め、思考し、判断し、表現する能力を育む指導方法の研究」のテーマで実践研究を行ってきた。3.ここにある「視覚言語の理解について」は理解するが、視覚に偏っていて、いわゆる、ビジュアルアーツ(彫刻・絵画・グラフィックデザイン・映像メディア)などに立脚した考え方だと思う。私は工芸教育に関わっている。生徒作品の鑑賞会を共有化のために行うことを心がけているが、例えば、練込マグカップの鑑賞会においては、実際にお茶を入れてお互いの作品で飲んでみて、鑑賞の観点の発見を促している。視覚的に優れていても、触覚言語(や五感による)の理解にも広げてほしい。「仮想世界に遊ぶこと」に対して「実際に触って本物・リアルを実感する」ことは必要ではないか。児童・生徒を取り巻く世界の多くがバーチャル体験になっている現在、実際の五感で本物を判断する「触覚言語」の理解にも力を入れるべき。「触覚言語」においても美術の役割を論理的に語り批評する教育が必要。「百聞は一見にしかず」ということわざがあるように、視覚言語は一般に理解しやすいが、触覚言語に代表される他の五感における言語は実体感した人にしか理解できず、それを共有化することが難しい。美術が言語化できないコミュニケーション言語の教育を標榜するのであれば、触覚言語に代表される他の五感における言語の理解には視覚以上にさらに力を入れるべきではないか。4.ここに例があがっている現場は、いわゆる明治以降に純粋美術が確立した後のものつくりの現場である。明治より前のものつくりが未分化だった頃の現場も含めないと、日本本来の、これからの日本美術は育めないのではないか。具体的に思い付くままに書くと、建築(現代建築及び日本の古建築・庭園つくり)、美術から切り離されてしまっている町工場によるものつくり、伝統工芸品制作現場、民具や着物文化、地場産業、文化財修復、里山つくり、所作・美意識の現場(作動・弓道など・寺社での場の空気)など。私たちにとってはふるくさいものや、かび臭いことかもしれないが、子ども達にとっては新鮮なものなのだ。現在、日本の和風文化や里山の自然と人間社会の共存などに対して若者は渇望しているが、家庭にも身近な社会にも無い、学校教育においても教えてくれない、だからこそこれからの学校教育で仕掛けないといけないのでは



以上です。

お疲れ様です、ご精読有り難うございました。









| comments(0) | trackbacks(0) | 22:02 | category: news |
# 連絡事項
  教科内容学検討委員会委員 各位


 18日の教科内容学検討委員会、そして、19日の全国美術部門総会、シンポジウム

等、ご苦労様でした。皆様のご協力のお陰で、無事、それらを乗り越えることができま

した。それに浮かれず、当面、アンケート、章立ての項目の検討を進めたいと思います

ので、よろしくお願いいたします。

 当日欠席された先生もおられますので簡単にご報告いたします。

 アンケートについては、18日の委員会での検討を受けて、担当の石井先生が修正案

を作成中です。今月中に作成し、10月に入って実施する予定になっています。

 協議会のシンポジウムでは、教科内容学検討委員会が今まで検討してきた経緯と、教

科内容学をどのように考えているのか等、松浦が説明し、それを受けて、現在検討中の、

教科内容学の章立てについて、小澤先生が丁寧に、しかも熱意を込めて説明されました。

会場からいろいろな意見、質問がありましたが、教科内容学の内容についての説明が初

めてということもあって、大きな反響を呼んだといえます。それらは、概ね好意的で、

期待されている意見が多かったように思います。

 委員会ではそれを先取りして、章立ての担当者を決めて議論を進めることを決めてい

ましたので、ご報告いたします。

 まず、委員会に理事会等の理由でご欠席された、福本先生、永守先生、大宮先生は、

4章全体についてのご意見を、各章担当責任者にいただきたくお願いいたします。


『 創造の原点(核)としての「ドローイング」を考える』の担当は、

  小澤先生(責任者)、前芝先生、渡辺晃一先生、

『 創造のプロセスへの視座:そのドラマと振り返りの方策』の担当は、

  石井先生(責任者)、古瀬先生、前田先生、

『 造形言語と批評する力』の担当は、

  渡辺邦夫先生(責任者)、山木先生、松浦、

『 フィールドワーク』の担当は、

  神野先生(責任者)、石上先生、川原崎先生、

 以上です。


 できれば、11月中までに、各章、10以上の項目をお考えください。当然、各章のイ

メージが具体的に浮かぶようにお願いいたします。






| comments(0) | trackbacks(0) | 16:16 | category: news |
# 報告連絡事項
          「教科内容学検討委員会中間まとめ」

教科内容学のためのテキスト構想案として

 

序章

 

 長い歴史の中で社会が如何に変化しようと、人間が幸せに生きようとする理想の実現に美術は極めて重要な役割を果たして来た。そのような美術のもつ価値、そして美術という教科を教育する意義について、教科内容学検討委員会は協議を重ねた結果、それぞれの専門分野で培った研究成果を明文化し、それらをいかにして現実の美術教育に役立てるかという実践的な課題を提起する必要性を、認識するに至った。

 そこで、学校教育のみならず生涯教育へとつながる教員養成のための大学教育に焦点を絞り、その授業改善の為の具体的プランを提示し、実際に授業内容を構想するための指針を纏めることとなった。この試みが小中学校での図画工作科教育および美術科教育の学習内容の充実につながり、児童生徒の表現意欲の喚起と表現と鑑賞の能力の発展、養成する教員の質的向上に寄与するものと内容学検討委員会は確信している。

 具体的なコンセプトとしては、絵画・彫刻・デザイン・工芸・美術史および美術理論といった各専門研究領域の基礎・基本を見据えつつ、それらを通底し、過去から現在に至る美術教育の歴史を貫き、脈々と受け継がれている表現や批評の活動の中心的な柱となってきた次の四つの柱を軸に具体的な大学の授業を構想することになった。

 

鵯 創造の原点(核)としての「ドローイング」を考える

 

 美術教科専門、特に実技系教科専門(絵画・彫刻・デザイン・工芸)を「創造」という概念で捉えた場合、その全てに共通する原点=核となるものは、「ドローイング」である。

 ドローイングの定義は現在に至るまで日本において成されていない。従って、本テキストではドローイングを、デッサンやクロッキー、スケッチ等、客観的そして主観的なあらゆる種類の素描を総合した概念として、先ず明確に定義する。

 そのように定義されたドローイングは、あらゆる美術表現へ向う創造の出発点である。またそれは出発点であると同時に、それ自体で既に創造の本質を内包する自立した美術の表現でもあり得る。多方向の表現へと自在に展開するドローイングの可能性を内包すると同時に、それ自体で作品としての強さも有するドローイングについて、本テキストの冒頭で考えることは、教員養成系大学における美術教科内容学を構築するための礎と成り得る。

 

鵺 創造のプロセスへの視座:そのドラマと振り返りの方策

 

① 美術表現を「作品」という最終的な結果としてのみ捉えるのではなく、それが生まれるプロセスにおいて生起する諸々のドラマへの着眼という視座から、教科内容学を捉える。ドローイングとも深く関わる自己の内的イメージの表出の問題、そうしたイメージの具体的な表出との間のズレを解決するための常なる「試行錯誤(創造的破壊の繰り返し)」と、そこに生じるであろう「創造的飛躍(スパーク的結実)」、その際に感得される自己発見と自己実現に対する感動や高揚感、結果的に作品の「完成」をどのように判断するか等々、創造のプロセスで生起する諸事は、全てが自己と向き合い自己を知るための示唆に溢れている。こうした視座から、美術教科内容学を捉えることによって、従来の絵画・彫刻・デザイン・工芸・美術理論美術史という縦割りの垣根を超えた、より本源的な美術教科内容学の構築が可能となると考える。

②創造プロセスの諸事はその全てが自己実現(作品の完成)に向う目的のために必然的に生じる。その事実は、プロセスへの振り返りによって初めて自覚化(意識化)され、その意味が明確になる。従ってプロセスの「記録 Recording」、そうした記録の「編集Editing」、編集されたものをどのように解釈するのか、つまり「反省 Self-Reflection」の方法論、を創意工夫することが、内容学をプロセスから構築するためには不可欠であろう。

 本章は、創造プロセスの諸事の意味と、それらを明らかにするための具体的方法が多くの実例により開示され、美術表現の時間系における実録によって構成される。

 

鶚 造形言語と批評する力

 

色や形で表現される造形世界のあり方は隠喩的であり、その意味で想像的である。図像全体のアナログ的なイメージを把握し、主体的に解釈した意味世界をもとにして「作品の仮像世界に遊ぶプロセス」が鑑賞には重要である。しかし、その表現世界のある部分を注視して叙述するという「分析的な次元」では,色,線,形,動きなど、いわゆる造形要素への着目が有効であり、見落としていた作品の意味を掘り起こし認識させてくれることも少なくない。また多元文化社会における空間認識の多様性などを知る契機にもなる。

制作プロセスにおいても,多種多様な視覚的な効果や造形行為の基本となる造形言語について適切に学ぶことは極めて重要である。ケペッシュなどが提案した「造形言語」という考え方は,様々なジャンルの表現および鑑賞活動においてベーシックな役割を担っている。こうした「視覚言語」の理解は、ノンバーバル・コミュニケーションとしての美術の役割を学習者に深く認識させることを可能とする。

同時に、言語の特性を理解させ、アートの世界を筋道立てて論理的に語り批評する教育も必要である。アート批評だけではなく、授業批評力の養成もまた教員養成の重要な教育用件である。視覚言語や造形言語の学習、そして、前述のドローイング論、プロセス論を踏まえながら、小学校・中学校等の学校現場での授業実践をどのように批評するか、特に教科専門に関わる教員がその具体例の提唱を行うことが重要である。

 

鶤 フィールドワーク

 

社会の動きにかかわる現代の学問では、フィールドワークやフィールド・スタディーと呼ばれる現地での調査がよく行われている。具体的には、研究対象となる集落に長期間滞在するようなものから、現代の増殖する都市機能を支えるいろいろな仕組みや公共施設、ある役割を担う集団や個人にインタビューをしたり、その活動を観察したり記録したりするものまで、いろいろな方法がある。

美術が社会の中で実践的な役割を担い,現代の文化形成に寄与するものであるならば、大学の美術の授業においてもフィールドワークという研究・学習活動は不可欠だと思われる。例えば、文字ではなく視覚的に絵で伝達するピクトグラム(絵文字)等、公共の場に存在するデザインの現場調査、CGやアニメ製作会社の制作現場等を訪問しクリエーターの話を聴くことも広い意味でのフィールドワークであり授業内容に質的な向上をもたらすことが期待できる。デザイン関係だけでなく、画家や彫刻家のアトリエ訪問や作品が設置された場の見学、そして伝統工芸作家の制作現場を見学する工房訪問、機能的・装飾的に美しい現代の建築物、いうまでもなく、仏像や寺院や庭等の優れた古美術を見学調査することもフィールドワークに含まれる。美術館での鑑賞も見かたを変えればある一定の限定空間におけるフィールドワークであり、子どもたちの表現活動を観察記録しに現場の学校に出かけることもまた、教師にとって根本的に必要なフィールドワークである。

教科内容学という新たな枠組みで,専門の教育内容の向上を考えるとき、フィールドワークというこの観点は美術という教科の極めて重要な柱となるはずである。

 

 以上

  この中間まとめは、大学の授業改善をめざすテキストの作成を視野に入れております。つきましては、教科内容学のためのテキスト構想を見据えたうえで、上記の内容についてご意見を賜りたく存じます。なお、ご意見の投稿はできるだけこのブログに直接ご投稿いただきますようお願いします。

 

※投稿解説

 向って右側、Categoriesボックス内に上記各章内ごとの新たなカテゴリー:創造の原点・創造の過程・造形言語と批判・フィールドワーク・その他(設定された章に当てはまらない要素や、新たな提案など)、を設置致しました。

 是非、各カテゴリーに上記章立ての解説をご参考に、ご意見列挙をお願い致します。












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